目上の人の昔話
こんばんは僕です。
今日、会社で仕事上のミスをしてしまったときに上司から「俺がお前ぐらいの年のときには、こうやって勉強しながら乗り越えてきたんだぞ。だからお前もこうやれ。」という説教を受けたのだが、どうもその「昔話の部分」がピンとこなかった。
そんな経験はないだろうか?
説教している本人は、自分も似たような失敗をしてきたから、先に事例を示してくれている。説教を受けている方は、理屈は理解できているが、昔の上司と今の自分がどう考えてもリンクせず、「はあ。」という生返事に終わっている。
そんなことを考えていたら、こんな記事を見つけた。
時空が連続しているかいないかで物の見え方が大きく異なることがある、というお話 - give IT a try
記事の中にこんな一文がある。
自分の中で時空が連続していると、昔「アナログレコードを借りてカセットテープに録音していた」のが、なぜ今は「インターネットでダウンロードしてiPhoneやiPodにコピーしている」のか、理由や背景がわかります。
たとえば、CD、MD、インターネット、iPod、iPhone、といろんなテクノロジーの誕生を目にしてきて、実際にそれらを使ってきたからです。
時空が連続していると、昔は昔でも「理不尽なほど大昔」にはならない気がします。
逆に時空が断絶されていて、「カセットテープ」と「iPhone」の間に体験したことのない暗くて大きな溝が横たわっていると「はるか大昔」のことに聞こえるんじゃないでしょうか。
社会人3年目の僕には、社会人歴20年目の上司が、僕と同じぐらいの時にどういう仕事をしていたのか、どういう風に困難を乗り越えてきたのかというのは、想像でしか知ることができない。
上司にとっては、新人時代の自分と現在の自分が時間で連続的に繋がっているため、新人時代もそんなに昔のこととは感じず、僕と比較する。
こちら側からすると、上司の昔話は「大昔の話」で、実感が沸かない。今現在起こっている状況が、上司には経験があるから1つ解決のロールモデルを示してくれているのはわかる。わかるのだが、僕が上司の新人時代をどう頑張って想像してみようとしても、そのあいだには明らかな時空の断絶があるので、上司の言葉から想像することしかできないのも事実だ。
上司からすると「なんでこんな当たり前のことがわかんないんだ?」となっているし、こちら側からすると「言ってることはわかるんだけどなあ・・・」となってしまっている。どちらが悪いというよりも、「お互いの理解度のギャップを認識できていない」のが問題だろう。
上司の有難い話も、若手からすれば時空の断絶した昔の話なので、当事者として刺さらない話になってしまう。感覚としては、歴史の人物の話を聞いているような感じだ。すごいのはわかるし、話の内容もわかる。だが、自分とは生きている時代背景も違うし、考え方も違うので、どうしても当事者意識が持ちにくい。
「人間は歴史から学ばないということを、私たちは歴史から学ぶ」という言葉もあるように、過去に起きた出来事が、自分の過去の時間と連続的に繋がっていなければ、人は自分のこととして捉えることができないようだ。
上司からの説教を上手くスルーするための方法を書こうと思ったら、人間の普遍の心理に行き着いてしまったが、上司に昔話を使った説教をされた時には「ああ、時空が断絶してるなあ。」と思えば少し楽になるのでは?
それではまた!
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