ジェンダー論は炎上しやすい
こんばんは僕です。
ずっと小学生ぐらいのときから「男女平等」という言葉に違和感を持っていた。
僕は男女差別は一切していない。だが、男女の違い(肉体的なものや性的役割など)は認識すべきと考えている。この考え自体は自分の中で全くぶれないものとして確立できているのだが、ジェンダー論は伝え方を間違えると誤解されやすく、SNS上では一瞬にして炎上騒ぎになってしまう。
なので、僕はうまい伝え方ができるようになるまで、あまりジェンダー論については人前では言わないようにしている。ストレートかつ相手に誤解を生みにくい言い方として、「うまいなあ。」と思ったのは以下の記事だ。
上記の記事で一つの事例が出ている。
医者という職業は
男女の差がない職業の一つだ。
仕事も同じ。
給料も一緒。
だから以前に比べて
医者を目指す女性が多くなっているんじゃないか。女性産婦人科医も多い。
しかし、問題はそこだ。
もしその女性産婦人科医が結婚し
妊娠したらどうなる。
その間、その病院の診療は誰が担う?
その病院で受診していた妊婦はどうなる?
出産後の育児にしてもそう。
たっぷり母親の愛情がほしいときに、
母親は仕事。
夜中にも飛び起きて仕事。
子どもはどうなる?
だからといって
その女性産婦人科医に
妊娠、出産はあきらめろと言うのか…
いずれにせよ、
女性産婦人科医が犠牲になるか
その子どもが犠牲になるか
その病院にかかっていた妊婦が犠牲になるか。
深刻な問題だ。
ということだった
これは少し極端な例だが、「男女の機会均等」を考えるのには不可欠だと思う。つまり「仕事」の機会があっても、女性の性的役割の最も原始的かつ基本的な「出産」というライフイベントは男性には絶対に代役ができない。「向いている」とか「向いていない」とかそういう問題ではない。
男女差別は絶対にしてはいけないとは思う。同時に「男女の違い」を認識しないと、差別が生まれるとも考えている。
上記の女性医師の例では、医師としての給料・仕事内容は男女で違いがないが、女性には出産というイベントがあることが多い。仕事も扱いも全く同等なだけに、仕事をしていく上で出産が仕事の影響に出るようなことは、あまり許容されにくい現状があるようだ。これは男女の違いを認識せずに、男がベースだった社会に女性を「平等」の名のもとに入れた、歪みではないだろうか。
女性が出産・子育てをできるような制度・環境づくりを整備して、それぞれがやりたい仕事に就けるような機会を用意できるような社会。
上記記事でも言われている「男女尊重」の社会だ。僕はこっちの方がしっくりくる。
もう一つ例を挙げよう。スポーツの世界では、男女は基本的に分かれて競技を行っている。これは「男女では筋肉の作りが違う」ことが客観的な事実であることを、ほぼ全ての人が受け入れているからである。男女の違いを認識するのはそれぐらいごく自然なことなのだ。ここで「いや、女性の方がスポーツにおいて劣っているなんて、そんなの差別だ!」というようなアホはいないと思う。劣っているいないではなく、筋肉のつくりからして、得られるパフォーマンスの限界値にがどうしても差があるというだけのことなのだ。
このようにして、一般的になってる事柄から当てはめると、男女の違いを認識することは差別でも何でも無い事がわかる。差別はいけないことだが、違いの認識がそれぞれの立場における「住みやすい社会」を作っていけることは間違いないと思う。
当たり前のことだが、改めて考えておくべきことだと思う。
それではまた!