自由になりたい人のブログ

一度は理系に進学し、挫折し営業職をずっとやってきた男が26歳で一念発起しプログラミングの勉強を始めた。これは26歳から素人がプログラミングを勉強しながら起業に向けて一歩一歩進んでいく道のりを描いたブログである。

「普通」という言葉の乱暴さったらないね

こんばんは僕です!

 

日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。 | 境治

 

僕は「普通」という言葉が、本当に嫌いです。それは何も僕が個性的なものを好むからでも、厨二病的なものでもありません。

 

何を以て「普通」とするか非常に曖昧なのにも関わらず、「普通ではない」ことは異端として、排除・矯正されることが多い。これって結構異常なことだと思いませんか?

周りを見渡すと、「普通」という言葉を振りかざしているのは、昭和生まれのおじさん・おばさんばかりなんです。

彼らの言う「普通」は、昭和の時代において「普通だった」ことであり、前時代の固定的価値観の押しつけているに過ぎません。

 

「普通こうだろ」

「普通の大人はこうあるべき」

「お前普通じゃねえよ」

 

上記記事にもあるように、普通というのは「昭和の普通」を意味します。さすがに終身雇用的価値観はゆっくり崩れてきていますが、まだおっさん世代ではその幻想を持っている人を幾人も見かけます。(若い世代でもたまに見かけるので、終わってるなあと思いますけど)

 

大人になってから言われる分にはまだいいのですが、これを子供たちに言う大人が非常に沢山いるというのが僕はすごく悲しいのです。「普通」なんてくだらない!となんで誰も言ってあげないんでしょうか?普通の常識的な人間になることが、なぜ個人の幸せに繋がるのか疑問に思う人はいないんでしょうか?

 

そして「普通」というのはとても曖昧です。どこから「普通じゃない」のか、線引きがすごく曖昧ですよね。「普通であるべき」と言っている当人たちも、その線引きを理解していないんです。それなのに、「普通」を押し付けてくるわけでして・・・

 

こんな乱暴で無神経な言葉を使うのは、昭和の死んでるおっさん達で打ち止めにしたいところです。「普通」が口癖のおじさん達は、自分たちの思考停止を自覚して、使わないようにするのが賢明だと思いますので、そこんとこよろしくお願いします。

 

それではまた!

 

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

 

 

 

常識を疑うことから始めよう (Sanctuary books)

常識を疑うことから始めよう (Sanctuary books)