自由になりたい人のブログ

一度は理系に進学し、挫折し営業職をずっとやってきた男が26歳で一念発起しプログラミングの勉強を始めた。これは26歳から素人がプログラミングを勉強しながら起業に向けて一歩一歩進んでいく道のりを描いたブログである。

最後の晩餐

こんにちは僕です。

 

「死ぬ前にこれだけは食べたいもの」25選

 

アメリカの記事なので、イマイチ共感できない記事ではあるが、少し違う切り口で考えてみようと思います。

 

食欲・性欲・睡眠欲と三大欲求に数えられるだけあり、人生の大半を占めている食。

「今の体は半年前に食べた食事でできている」や「食を充実させることが人生の充実に繋がる」など様々な食に関する格言があるが、僕の考える食とはこうです。

 

「その人の人生の自由度は、食を自由に選べるかどうか」

 

少し偏った考えかもしれないんですが、これは僕の過去の経験に起因します

 

某コンサル会社の社長の元で、丁稚奉公のような仕事をしていたときに、いつも食事は社長に連れられて取っていました。某大手ファストフードチェーンの役員や某ITベンチャー社長との会食、社長が懇意にしている店での食事など状況は様々でしたが、共通していた事は、「自分では食べるものについて選べなかった」ということです。

 

高級料亭、寿司が全部時価ででてくるお店、ドレスコードの厳しい中華料理、ラーメン屋、スナック、近所の惣菜やに至るまで、行った先では僕は食べる品目はおろか量、食べる時間に至るまで何も決める権利がありませんでした。

 

これは想像以上にきついんです。どんなにおいしいもの、どんなに自分の好きな食べ物でも、全くおいしくないし、楽しむ事も当然不可能です。それが延々続くと、文字通り生きるのが辛くなります。人生の大半を占める食で多大なストレスがかかるわけですから、当たり前のことかもしれません。

 

僕はその会社を辞めて最初に食べたのが、コンビニで食べた「チキン南蛮弁当」でしたが、涙が出るほどおいしかったことを強烈に記憶しています。人間にとって食事を楽しく感じる事ができるのは、「自分で選んだ食事を、自分の意思で食べているとき」なのだとはっきり理解できた瞬間です。

 

もともと食にこわだりはない僕ですが、「自分で選んだものを食べて生きていきたい」とだけ強く思っている次第です。

 

死ぬ前はチキン南蛮弁当でいいかな?w

最後の晩餐 (光文社文庫)

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