最後の晩餐
こんにちは僕です。
アメリカの記事なので、イマイチ共感できない記事ではあるが、少し違う切り口で考えてみようと思います。
食欲・性欲・睡眠欲と三大欲求に数えられるだけあり、人生の大半を占めている食。
「今の体は半年前に食べた食事でできている」や「食を充実させることが人生の充実に繋がる」など様々な食に関する格言があるが、僕の考える食とはこうです。
「その人の人生の自由度は、食を自由に選べるかどうか」
少し偏った考えかもしれないんですが、これは僕の過去の経験に起因します
某コンサル会社の社長の元で、丁稚奉公のような仕事をしていたときに、いつも食事は社長に連れられて取っていました。某大手ファストフードチェーンの役員や某ITベンチャー社長との会食、社長が懇意にしている店での食事など状況は様々でしたが、共通していた事は、「自分では食べるものについて選べなかった」ということです。
高級料亭、寿司が全部時価ででてくるお店、ドレスコードの厳しい中華料理、ラーメン屋、スナック、近所の惣菜やに至るまで、行った先では僕は食べる品目はおろか量、食べる時間に至るまで何も決める権利がありませんでした。
これは想像以上にきついんです。どんなにおいしいもの、どんなに自分の好きな食べ物でも、全くおいしくないし、楽しむ事も当然不可能です。それが延々続くと、文字通り生きるのが辛くなります。人生の大半を占める食で多大なストレスがかかるわけですから、当たり前のことかもしれません。
僕はその会社を辞めて最初に食べたのが、コンビニで食べた「チキン南蛮弁当」でしたが、涙が出るほどおいしかったことを強烈に記憶しています。人間にとって食事を楽しく感じる事ができるのは、「自分で選んだ食事を、自分の意思で食べているとき」なのだとはっきり理解できた瞬間です。
もともと食にこわだりはない僕ですが、「自分で選んだものを食べて生きていきたい」とだけ強く思っている次第です。
死ぬ前はチキン南蛮弁当でいいかな?w