バリアフリーは身体だけじゃない
こんばんは僕です。
『発達障害者』に勉強を強いるのって「虐待」じゃないの? - だいちゃん.com
この記事は、僕が今の仕事で抱えているジレンマに近いものを書いているので、ちょっと補足も加えながら書いてみたいと思います。
この記事を書いている方は現役の家庭教師で、僕は家庭教師の会社で営業と集客をしているわけですが、発達障害や学習障害、アスペルガー症候群のお子さんをお持ちの親御さんからの相談はとっても多いんです。
彼らの多くは、集中力が極端に短かったり、集団生活になじめない事が多いので、学校の授業についていけなかったり、塾が合わなかったりすることが多々あります。
昔は家庭教師といえば、お金持ちの家が塾の補習などでつけることが多かったのですが、今は「塾や学校でついていけない子達の最後の駆け込み寺」としての役割が強くなっているんです。必然的にそういった脳に軽度の障害を持った子の親御さんの相談が増えます。
一番微妙なのは、「ただ単に勉強が苦手な子」なのか「脳に障害がある子」なのかどちらかわからないぐらいの子の指導にあたるときです。
これぐらいのレベルだと、親も気付いていなかったり、こちらも話しているぐらいじゃわかりません。しかし勉強になると、明らかに不自然なレベルで出来が悪かったりします。サボっているだけならいいんです。いつの日かやる気になったら、勉強できるようにはなるのですから。問題は明らかに努力しているにも関わらず、全く勉強ができるようにならず「僕はなんでこんなに勉強ができないんだろう」とマイナスの方にいってしまうことです。ここに日本の「努力賛美主義」の弊害が現れます。
少し前に、為末大さんのツイートが話題になりました。
為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ : J-CASTニュース
脳に障害があるのであれば、勉強だって努力でカバーできる範囲を超えることは起こり得ます。脚に障害がある人が、トラックの上を全力疾走することは、自力では難しいのは当たり前です。障害があると診断され、社会にも認知されれば、「努力不足」で責められることはないはずですが、上記で述べたように「障害かどうか微妙なところ」の人にはなかなかそれが難しいのが現状です。
その上で、親御さんやまわりの人は「勉強できるようになってほしい」と願うので、私たちのところに相談にくるんですけど、それだと根本的な解決にならないんですよね。
その子達が「学校のレベルに合わせて勉強できるようになること」ではなく、その子達に「合った勉強ができる場所」をつくることだと思うんです。
その子達の個性を潰さないで済むような、標準化されていない場所と未来が必要なんです。色々変えていくのに時間はかかりますけど、少しずつ変えていきたいんですよね。
勉強だけが正しいわけじゃないし、学校だけが正しいわけじゃないことは大人でもみんなわかっているので、それを少しでも子供達に伝えたり、準備してあげたりするのが大人の役割ではないでしょうか?
それではまた。