自由になりたい人のブログ

一度は理系に進学し、挫折し営業職をずっとやってきた男が26歳で一念発起しプログラミングの勉強を始めた。これは26歳から素人がプログラミングを勉強しながら起業に向けて一歩一歩進んでいく道のりを描いたブログである。

「コミュニケーション力」って曖昧すぎないか?

こんばんは僕です!

 

コミュニケーション能力とは何か? (内田樹の研究室)

 

僕は学があるわけではないので、内田氏の言いたい事を100%理解できている訳ではないという前提で話を進めてみます。

 

記事に書いてあることをおおまかに意訳すると、「コミュニケーション不調は、対話の中に想定外のことが起きたときに抜け出す力。日本ではコミュニケーション能力の高さというのは、相手を説得する力と思われがちだが、相手に説得する時間、態度を提供すること」みたいなことが上記記事に書いてあります(意訳なので大目にみてくださいw)

 

個人的には記事の中で指摘されている病的マニュアル主義という言葉が引っかかります。「想定外のことが起きた時に自己裁量による判断を認めない」というのは、そもそもマニュアルの意味をはき違えています。

 

マニュアルは「その通りに行動しなさい」という行動を限定するのみのものになると、内田氏の指摘するように想定外の出来事に対応できなくなります。しかし本来はなぜそのマニュアルなのか?ということを理解しないと、本来の価値はなくなります。多くの場合に当てはまる行動、結果をパターン化しノウハウとしたものがマニュアルなので、想定外の事態をマニュアルに記載する事自体がそもそも意味不明です。

 

「普通に考えりゃわかるだろ」ということは普通マニュアルには載せません。あまり起こり得ないから想定外なのです。想定外の出来事が起きたら、通常会社だったら上司に報告ですし、自分一人であれば経験則から照らし合わせて対応。

 

ただそれだけのことでしょう。これをコミュニケーション能力にあてはめて考えるのであれば、マニュアルをベースにして自分の頭で「この状況にはこれがふさわしい」という判断を下す力だと思います。前述のようにマニュアルは「多くの場合に当てはまる行動、結果をパターン化したノウハウ」なので、当然多くの場合に有効です。その「マニュアルを当てはめて問題ない」のか「マニュアル以外の行動を取らなければいけない」のかを判断できるかどうかがコミュニケーション能力ではないでしょうか。

 

日本では必要以上に「空気を読む」という文化が浸透しています。グローバル的に考えれば、自分の意見をはっきり主張するなどもコミュニケーション能力ですが、日本においては、伝達方法、内容の取捨選択が「空気を読む」というコミュニケーション能力になります。

 

マニュアル化されたコミュニケーションは、「自らの意思が伴っていない」場合に、薄っぺらいコミュニケーションになりますが、自分の頭で考えて選択した意思伝達ならば、それは「コミュニケーション能力高し」と判断していいのではないでしょうか?

 

久しぶりに難しい文章を読んで、難しい事を書いてしまったので支離滅裂ですが、社会人の永遠のテーマとも言えるコミュニケーション能力。皆さんも一度考えてみられてはいかがでしょうか?

 

それではまた!

 

特別講義 コミュニケーション学

特別講義 コミュニケーション学

 

 

 

コミュニケーション100の法則

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